「こんにちは。お元気ですか」2013年
 

2013.11.11〜12.29

ダブル台風が去ってから急に寒くなってきました。
だんだん「日なた」が恋しくなってきましたね。そして落ち葉が多くなると、ザ・ランチャーズの『真冬の帰り道』が聞こえてきそうです(知っている人だけ知っていれば良い…)
 今年は自然界では竜巻と大雨に翻弄されて命の危険を感じる程の災害に見舞われてしまいました。また、JR北海道の点検不備も多発してびっくりでした。私は夏の旅行によく北海道の鉄道の旅をしていましたので、事故に遭わなかったことは幸いでした。そして阪急ホテルなどの食材の不当表示。小さなウソをついたばっかりに大きな事件になってしまい、担当責任者の見苦しさばかりが目立った事件でした。
 「自律」と「自立」がこれからの世の中(もう少し前から)に必要だと言われています。「自律」とは自分の生き方の哲学を持つこと。「自立」とは人のせいにしないで自分で勉強して目標を選択すること、考えようによっては厳しい時代です。が、人として当たり前のことでもありますよね。意外と出来ていないものです。自分も含めて…。
 今年も皆様のおかげでヨーガランドを続けられました。ありがとうございました。
 感謝いたします。(ヒロコ記 H25.10.29)

 

2013.9.23〜11.10

 少しずつ秋の気配を感じさせるこの時期に2020年の「東京オリンピッ ク」開催が決まりましたね。みなさんはどう思われたのでしょうか?
 賛否両論はあっても7年後?何歳?と自分の年齢を数えた方は多かったと思 います。
私は7年後にはいよいよ60代に突入してしまいます。みなさま!その日までおつきあいいただけたら幸いです。7年なんてあっという 間に過ぎてしまいますね。伊勢神宮の式年遷宮は20年ですもの。
 先日、お休みを戴いてお伊勢参りに行って参りました。木立がスッとまっすぐに 伸びていてやはりパワースポットであることを感じさせてくれました。内宮(ないくう) の天照大神が鎮座ましますお社は特に2本の木がまっすぐまっすぐ立っていて、その場に佇んでいると自然と浄化の涙が出てしまいました。
 20年前と言えばヨー ガ・ランドが現在の形でスタートした年でもありました。平成5年(1993年)2月、予約による少数定員制での迷いながらのスタートでした。伊勢神宮の新しいお宮と旧いお宮を比べて見ることができ、月日の経つ のが感じられました。旧いお宮は20年の風雨にさらされ年期の入ったひと味違う姿です。私も「味が出てきたよ」と言われるとちょっと嬉しいですね。あきらめないで続けてきたことは何でも形になります。7年後の東京オリンピック を目指す若者達に栄光あれ。 合掌 (ヒロコ記 H25.9.10)


2013.8.05~2013.9.22

 梅雨明けして熱い日(あえて、この字で…)が続いたかと思ったら、また涼しい日もあり、体がついていくのが大変ですね。
 自律神経の「乱れ打ち」?! なんて方もいらっしゃるのでは? そんな体調を吹き飛ばしてくれるようなNHKの朝の連続ドラマ『あまちゃん』が巷で評判のようです。皆さんご覧になっていますか?主人公アキちゃんのママ、ハル子さんがアイドルをめざして東京に出てきた頃、私はヨーガのインストラクターとしてデビューしました。1983年、昭和58年の7月のことでした。
 某ヨーガ団体専属インストラクターとして池袋西武コミュニティカレッジの担当となり、さて今日からという日に体中と顔に「じんましん」が出てしまい、厚塗りの化粧をして挑んだのを覚えています。デビュー初日の気持ちは最悪でした。あれから30年。皆様のおかげで所属していたヨーガ団体からも独立し、自前の「ヒロコ・ヨーガランド」を構えることができ、思ってもみなかった程長~くやってこられました。
 30年という月日は、昭和の時代から現在へと社会を大きく変えてしまいました。情報化社会がこの国の発展を促しているのでしょうが、逆に人をもまた狂わせているのです。IT休閑日を設けた方が良いのではと思います。
 パソコンやスマホを閉じて一日すごしてみませんか?シンプルな心にどうか戻ってみて下さい。人間として、もっとシンプルになろうではありませんか。
  合掌(ヒロコ記 H25.7.25)

 

2013.6.17~2013.8.04

 梅雨らしくなりました。今年の梅雨入り宣言はちょっと早かったですね。
 さて、17年間「パスタのお店」として吉祥寺で営業していた「ピノキオ」が6月9日に閉店しました。お店がオープンしたのは1996年初夏。さっそくヨーガランドの忘年会にここを利用させていただき、以後10年近くお世話になってきました。その後も毎週金曜日の夜には忘年会ならぬ“忘週会”をワイワイとやってきました。昨年も有志の方々の計らいで忘年会をさせていただいた矢先のことで寂しい限りです。
 永遠にそこに在るような、いつでも伺えると思っていたお店でした。女性オーナーのMさんのご病気がその理由なのですが、こんな形で閉店を迎えるとは思ってもいなかったでしょう。一番つらいのはオーナーさんだと思います。お店に伺うと、いつも満面の笑顔で迎えてくれて世間話をゲラゲラ話して、料理長との凸凹コンビ振りもまた楽しくて、お気に入りのパスタ(盛りが良いのよ、これが)とサラダを食べて「また明日も頑張ろう」という気持ちにしてくれる店でした。
 歌手のエグザエルのATUSHI(あつし)さんが『日本の歌を歌い込んで、自分の歌で病気が治るような歌い手になるのが目標だ』と言っていました。
 ピノキオはまさにそんなお店でした。お料理とMさんの人柄でたくさんの方を癒し、元気づけてきたことでしょう。本当にありがとう!ピノキオ!
 ~Grazie( グラッチェ) そして arrivederci( アリベデルチ)Pinocchio~ 
  合掌(H25.6.12 PM1:00 ヒロコ記 外は雨)

 

2013.4.29〜2013.6.16

 若葉が耀き出しました。キラキラときれいです。
私は3月、4月と体調を崩し、いろいろな事と向き合わされました。
やっと自分の体になって5月の連休を迎えられそうです。
 子供の頃から気管支拡張症であった私には、自分の誕生月である5月がいちばん体調を崩す季節でもありました。きっと今年の3月4月はその時代のその頃の気候に似ていたのかもしれませんね。うっかりしてしまいました。
 私の子供の頃(昭和30年代後半)は、病気で寝込んだ時にだけイチゴのショートケーキが食べられました。当時はバタークリームのケーキが主流だったので、生クリームのそれはとても嬉しかったものです。あと、缶ジュースが飲めました。
 その頃、毎日飲めたのは粉末の『ジュースの素』を水で溶かした代物でしたから、缶にディズニーのキャラクターが描いてあるそれは、まるで違う飲み物のように思えました。その頃からディズニーは子供には人気でした。当時の缶ジュースは今のプルトップではなく缶専用の“穴開け機?”が付いていて缶の上蓋に2ヶ所穴をあけて飲むのです。「そう!そう!」と賛同された方は私と同級生ね。今はいつでも手の届く所にジュースがあります。幸せですね。久し振りに体調を崩してみて、ついそんな思い出に浸ってしまいました。
 皆様には、病に伏した時の食べ物の思い出はありますか?思い出すとその時代の情景に引き戻されていきますよ。「年を重ねてきた」ということでしょうか…エへへ。         (H25.4.22 ヒロコ記)

2013.3.11〜2013.4.28

 梅の季節になりました。
先日、立春の日に母と兄と義姉とで蝋梅(ろうばい)園へ行きました。
蝋梅は同じ種類のようで濃い黄色、薄い黄色とありました。よく手入れがなされ地面には福寿草が植えられ、とてもきれいでした。「おみやげに!」と蝋梅の枝を一人に数本ずついただき、その枝を持った母の笑顔に癒されたひと時でした。
俳句の季語では、今の季節に「“探梅”に出掛ける」というとそれは間違いで、立春を過ぎると「観梅」に季語が変わるのだそうです。「探梅」とは、先駆けの一輪二輪を、まだ風が冷たい野山に求める冬の季語だそうです。そのことは朝日新聞の『天声人語』にも記載されていました。また、その記載された日は二十四節気の「雨水」にあたりました。『天声人語』によれば「雨水」とは「降る雪が雨に変わり、雪が解けて土が潤いだす」とありました。日本人は季節の移り変わりをとても美しい言葉で表現してきたのだなあと思います。
言葉は「言霊(ことだま)」ですから、人を傷つけたり傷つけられたり、喜ばせたり喜んだりとその「ひと言」で影響を与えています。心して使うように努力したいと思う今日この頃であります… 合掌 (H25.3.2 ヒロコ記)

 

2013.1.21〜2013.3.10

まだまだ寒いです。冬ですからね。
 身体の調子を崩している方が多いようです。天気予報士の方は「いつもこの時期はこれくらいの温度ですよ」って言うけれど12月は平年より温度も低く寒かったと言うではないですか…だからずっと寒い感じです。
 昨年暮れの「紅白歌合戦」はご覧になりましたか?若者たちに美輪明宏さんの歌った「ヨイトマケの唄」が話題になっているようです。放送直後からツイッターやFace bookで大反響だったそうで、曲別の視聴率も42%と断トツだったそうです。戦後、炭鉱不況の頃に美輪さんが訪れた田舎町の風景と親子のきずなを基にして美輪さんが作った歌です。
 何故、美輪さんが2012年の紅白にこの歌を選んだのか、それは「親が子を、子が親を殺してしまうような時代の中、もう一度お互いを思いやる親子のきずなの唄を歌いたかった」と言っていました。この歌ができた頃から日本人は努力を重ね、高度経済成長を達成してバブルの時代まで登りつめて行ったのです。そして…いつの間にか本当の心の豊かさを失っていったのです。まだその心の豊かさを少しでも持っている方はどうぞ、心の豊かさを失ってしまった方へ、何が豊かなのか知らない方へ、心の灯をともしてあげて下さい。
「豊かな心」は分け与えても減りません。不思議です。少しずつポッポッと灯がともったら良いですね。合掌。(H25.1.11 ヒロコ記)